努力とは何か
こんばんは、gh85です。
明日の1月締めくくりは良い日にしたいと思います。

今月も暇なようで忙しいようで
あれよあれよと日々は過ぎてしまう。
もっと時間を大切にしなくてはならない。

最近色んなことがあったのだけど
ある一つの出来事がものすごく印象的だったので記事にしたい。

『努力』

この2文字の抽象さといったらもう言葉では表せない。
「頑張れ」もそれに近いものがあるのだけど
良い意味で使われることが多いからそう批判も出来ない。
「頑張らない」のほうがよっぽど悪い印象にもなる。
だけど、うつの人に「頑張れ」と言ってはいけない…
とかいう情報が広まると途端に「頑張らない生き方」なんて本が出る。

考えてみれば良いお話なのだ。
凡人以下の人間が自らの努力によって成功するというお話。
文章にすればたったこれだけの話は
実はものすごく深く重く暗い下積みを経ている場合が多い。
それはそれは本当に凡人以下では耐え切れぬような下積みが。
でも良いお話になってしまうと「成功する」という部分の
印象しか残らなくなるというのが厄介だなと思う。

様々な場面でこの「良いお話」を聞かされながら
「アンタも頑張りなさい」と
これまた抽象的な言葉で行動を強制されてしまう。
だけど、さらに考えてみると問題があることに気付く。

『本当にいかなる境遇の人間にも努力が出来るのか』

これを言ってしまうと努力好きの人たちは
怠慢な人間の言い訳でしかないとバッサリ斬られてしまう。
いつもそれは可哀想なんじゃないかと思っていた。

人間の能力は平等では無い。
私はそのことがものすごく悲しい。
私は生まれてからずっとずっと恵まれているからだ。
もちろん恵まれていてもコンプレックスは存在する。
上には上がいるから。
それでも、それにしても、
人間的に圧倒的不利を受け過ぎだろう!と
言いたくなるような人たちも存在する。

私はそのような人を最近見てしまったのだ。
実際目にしてしまってからは
その人たちの人生を考えずにはいられなくなった。
「努力」なんて言葉は全く役に立たないと思い知らされる。
同情なんていう陳腐な表現をしたくないけれど
ただただ幸せに生きて欲しいと願った。

圧倒的不利な境遇にいる人たちを見て
居た堪れない気持ちになり
自分がどれほど恵まれているかを痛感させられる。
そういう気持ちを忘れたくはない。
自分の境遇に感謝して最高の人生を生きたいと思う。
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by gh85 | 2011-01-31 00:55 | わたくしゴト
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